The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

26 フジコ・ヘミング (1)初のフジ子・ヘミング 2006.5.1 

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出典:Pixabay

 フジ子・ヘミング*1のピアノ・リサイタルは、素晴らしかった。可能な限り印象を持ち帰りたいと思い、休憩時間にメモ帳を開いたのだが、うまく書き取ることはできなかった。無味乾燥なメモ……。

 休憩時間にロビーへ出ると、犬たちがいた。盲導犬だ。リサイタルの主催がボランティアグループで、収益の一部が盲導犬協会に寄付されることになっていたのだった。イエローと黒のラブラドール・レトリーバーが 6 匹はいた。

 触りたくなり、思わず撫でてしまった犬はイエロー、泰然としている。まるでフジ子みたいだと思った。でも、彼女はどちらかというと容貌や仕草が猫に似ている。猫を沢山飼ってきたせいだろうか。

 犬の目を覗き込むと、遠くを見るような目つきをしている。もしかしたら、眠かったのかもしれない。実際、リサイタルが終わってロビーに出ると、帰宅を待ちかねた犬たちがぐったりと前脚の上に頭をのせて目だけ動かしていたり、眠ってしまっていたりした。

 休憩の間に、舞台の上では調律師が丁寧に音をチェックしていた。そこにはグランド・ピアノが一台、ぽつねんとあるだけだ。スタインウェイ・アンド・サンズ社の製品。

 世界で最も名高いスタインウェイのピアノなんて、昔の日本ではまずお目にかかれなかったのではないだろうか。さすがにいい音だと思った。ピアニストの腕だけでは、あれほどまでに透明感のある響きはつくり出せないに違いない。 

 前回わたしがピアノ・リサイタルに出かけたのは、随分前のことだった。年に一、二回音楽会に出かけることがあったとしても、管弦楽団と一緒だったりすると、ピアノやピアニストだけに注意を集中させたりはしない。

 舞台はイエローのレトリーバーの毛色に似た色をしていた。沙漠の色のようにも見える。そこに現われてピアノに辿り着くフジ子は、ピアノだけが生きるよすがみたいに見えた。

 双眼鏡を覗いていると、ピアノを弾く前に顔をそむけるようにして、困ったような、途方に暮れたような、はにかんだような、独特の表情を見せた。それは、テレビのドキュメンタリー番組で観たときに印象に焼きついた表情だ。わたしが絵描きであれば、この顔を絶対に描こうとするだろう。

 一旦弾き始めてからは、二、三曲ごとに小休止をとった。両手を膝にのせ、少しうつむいて意識を集中させようとする姿が、まるで祈っているようだった。そして、黙々と、ただひたすらに曲をこなしていくその姿は苦行者さながらだった。

 わたしがチケットを買うとき、あまり席が残っていなかったのだが、売り場の人が鍵盤が見える席を教えてくれた。それで、席は後ろのほうだったにも拘らず、鍵盤も、足もよく見えた。

 足は、初めは衣装のせいで見えにくかった。フジ子は髪に白い花飾りをし、着物のように見える紫の衣装をローブのように羽織っていて、スカートは黒いレース地のようなものを幾重にも重ねたものだった。

 休憩を挟んでからは、紫の衣装をゆったりと着ているのは同じだが(といっても別の衣装で、模様が違った)、下は黒いパンツだった。今度は衣装に妨げられることなく、ペダルを踏む足が実によく見えた。

 何てすばらしい足、絶妙なペダル使いだったことだろう! 彼女がペダルを自家薬籠中の物にしていることが、ペダルに置かれた足の角度の美しさが物語っていた。さりげなくおかれた足。なめらかに踏み込まれ、そっと離されるペダル。ペダルが愛撫されているかのようだった。 

 肝心の指使いに関していえば、その奏法は指を寝かせて弾く弾き方で、ペダルの使い方と同じような、鍵盤を愛撫しているかのような弾き方だった。

 それは、中村紘子が日本のピアニズムに残存すると憂い命名した「ハイ・フィンガー奏法」とは、全く対照的な奏法なのだろう。ペダルの使い方は勿論、指の使い方と相関関係にある。

 わたしが子供の頃にピアノを齧ったとき、二人目の先生から教わったのが「ハイ・フィンガー奏法」で、それも絶対的価値観といったていで教わった。

 それは、手を卵型にして指を一本一本振り上げ、上から鍵盤に叩きつけるような弾き方で、そんな弾き方をすると、音はのびず、響かず、表情がなくなる。ペダルも、音を強くしたり弱くしたり、引っ張ったり途切らせたり、といった狭く固定された域を出ない味もそっけもない使い方だった。尤も、ペダルの使い方にまでいかない初歩のうちにピアノをやめてしまった。

 カチカチと爪の音のするピアノの弾き方にわたしが何となく疑問を抱き始めた頃、ピアノの上手な生徒がクラスに転入してきた。

 彼女は聴いただけの曲も習った曲も、自分で自由自在にアレンジして弾いた。今思えば、おそらく絶対音感の持主だったのだろう。自分には考えられもしないそんな才能もさることながら、音の響きのあでやかさを耳にし、次いでその弾き方を見たときには愕然となった。彼女は指を寝かせて弾いていたのだ。

 わたしが通っていたピアノ教室は、しばしば名のある音大に生徒を送り出し、権威をもって指を立てて弾く弾き方を教えていた。それからすると、転入生は間違った貧弱な弾き方をしているはずだった。

 しかしながら、あれほど多彩に音を響かせうる弾き方が間違っているとは、わたしにはどうしても思えなかったのだった。権威というものの愚かしさを、このときわたしは学んだ。

 バッハの「インベンション」をゆっくりゆっくり一音一音、指を金槌のように振るって弾かされた鍛治屋の見習いさながらだった稽古の時間を思い出す。幸いバッハを嫌いにはならなかった。どんなにゆっくりと弾かされても、叩きつける弾きかたをさせられたとしても、バッハの曲には噛めば噛むほど味わいの出るパンのような尽きせぬ魅力があった。

 ところで、フジ子には数々の不運があった。

 その最たる出来事は、ウィーンでのデビュー・リサイタルの直前に風邪をこじらせ、聴力を失ったことだろう(後に片耳だけ 40 パーセント回復)。

 だが、彼女が、ピアノの魅力を最大限に引き出す奏法を教わる幸運に恵まれた人であることは確かだ。

 ロシア系スウェーデン人の父を持つフジ子が日本で成長したことや時代背景を考えてみると、下手をすれば、間違った奏法を植えつけられていたとしてもおかしくはないからだ。あの中村紘子でさえ、留学先で奏法の改変を余儀なくされ、苦労したというのだから。

 フジ子の場合はそれに加えて――というより、そもそもといったほうがいいかもしれないが、肉体的な条件に恵まれているという第一の幸運がある。

 プログラムには、ドビュッシーショパンスカルラッティ、リストの名があった。ドビュッシーは『版画』の 3 曲。ショパンノクターン 2 曲、ワルツ 1 曲、エチュード 8 曲。スカルラッティソナタ 2 曲。リストは 6 曲。そして、フジ子がアンコールに応えて弾いた曲はドビュッシー「月の光」とモーツァルトトルコ行進曲」だった。

 彼女はこのリサイタルで、全 24 曲をよどみなく弾いたことになる。呼吸は整えられていて、演奏に乱れは感じられなかった。

 実は、テレビで奏楽堂でのリサイタルの模様を視聴したとき、また、わが家にある5枚の CD を聴いたとき、曲によるのだが、重い、まどろっこしい、うまくオーケストラについていっていない、といった風なことを感じさせられることが皆無とはいえなかった。

 何しろフジ子自身が、「人間なんだから、少しくらい間違えたっていいじゃない。機械みたいに完全すぎるのは嫌い」というのだ。

 それで彼女を、危うさを爆弾のように抱え込んだピアニストと捉え、彼女が少しとちったくらいでは失望しないだけの心の準備をしたうえで、リサイタルに出かけた。

 ところが、そうした危惧はプログラムの早い段階で消え去った。演奏にはびくともしない安定感があり、この夜の彼女は最初から最後まで見事だったと思う。

 高年に入ってからの再起を賭けたデビューだったけれど、フジ子は 1 曲弾くごとに舞台慣れし、円熟味を増しているのではないだろうか。少なくとも、それだけの努力を自身に課す人であることは間違いないようだ。

 世に出られない長い、気の遠くなるような時間を、拾ってきた猫たち、ピアノと共に過ごし、自分の能力をいつでも直ちに大舞台に立てるほどの水準に保ってきたのだ。それが並大抵の努力では済まないことくらい、わたしにも想像がつく。

 照明を落とした夜の部屋で、フジ子の演奏を聴いてきた猫たち。猫たちは、今日どれほど彼女を好む聴衆よりも、一等優れた聴き手であったに違いない。

 休憩時間に後ろの席の女性が、「彼女の演奏って、どこか他の人とは違うのよね。心に沁みるわね……」といっていた。他の人と違う理由は、いろいろと挙げることができる。

 日本人――ことに日本女性――のピアニストには、演奏中、何かが憑いたのではないかと訝りたくなるくらいに眉を顰め、目を固くつぶり、身をくねらせる人が少なくない。あれは一体、何なのだろう? 

 ありがたいことに、フジ子はそんな見苦しいパフォーマンスとは無縁であって、演奏中はずっと理性的な、静かな表情だった。

 リストの「ため息」が、物憂げに、物哀しげに、それでいて敬虔なおもむきで奏でられるには、理性による客観視と自己制御が必要であるのに違いない。演奏中のフジ子はそれを想像させるような、自己陶酔とは無縁の、多方面に意識を働かせている統監者の顔、分析者の顔をしていた。

 わたしはこういうところに、彼女が半分血を受けた欧州の自然や文化の香りを感じるのだ。実際に、生で見るフジ子は日本人というより白人に見えた。手も大きく、肉厚で、指はかなりの太さだろう。白人の男の人のような手だと思った。鍵盤を充分制圧できるだけの手だ。

 日本人のピアノ演奏は、どうしても、線が細くなりがちだ。彼らの技術も精神力も、牛のように屈強なピアノという楽器には、追いつかないところがあるように見える。

 ところでわたしは昔、お産のとき医師に「顔でお産をするな」といわれた。そういわれても、力を入れるべきところにうまく力を入れられないと、つい顔だけで力んでしまうのだ。

 日本の女性ピアニストに多い顔や身振りを使った過剰なパフォーマンスは、ムードづくりのための演技かと思ったこともあったが、むしろそうした余裕のなさのあらわれではないだろうか。自己陶酔である可能性もあるが、それも芸術性の欠如からくる。

 ずんぐりむっくりしたフジ子の指を長くすれば、ロシア人の巨匠リヒテルの手になるに違いない。あの手は、女性であるということ、東洋人であるということのハンディを軽く吹き飛ばす。わたしが先に、彼女が肉体的な条件に恵まれているといったのは、こうした点を指す。

 反面、彼女が調子が悪いとか、オーケストラと相性が悪いとかいう場合には、あの指の太さがわざわいに転じて、いらぬ鍵盤に指をひっかけさせたり、演奏を鈍らせたりするのだろう。

 それくらいのことは仕方がない。心に沁みる音色をつくるにはどうしたって、あの肉の厚みが鍵盤を沈めることでつくり出す陰影が必要なのだから。

 フジ子が弾いた曲はどれもこれもすばらしく、それぞれに忘れがたいのだが、プログラムの中で一曲といわれるとするなら、ドビュッシーの「雨の庭」を挙げたい。

 この曲では、まるで波紋のように、幾重にも音色が重なったのだ。どうペダルを踏めば、あのように、混濁しない、紗のように重なる音色がつくり出せるのだろう?

*1:フジコ・ヘミング、本名ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko)は、日本とヨーロッパ・アメリカで活躍するピアニストである。父親がロシア系スウェーデン人(画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(Gösta Georgii-Hemming))で母親が日本人(ピアニストの大月投網子)。ベルリンで生まれる。スウェーデン国籍(長らく無国籍の状態が続いた)。「フジ子・ヘミング」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年8月6日 (日) 06:22 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org