The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

7 梨とピノッキオ 2006.8.28

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出典:Pixabay

 今夜の食後のデザートは、日田産の梨でした。日田市にいた頃は、日田産の美味しい梨を、それが普通の梨だと思って食べていました。汁気が多くてとても甘い日田産の梨が有名であることは、こちらに来て知りました。

 梨といえば、連想するのが、カルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』*1です。木切れから人形になって間もないピノッキオが空腹を訴えて、作り主のジェッペットじいさんから彼の朝飯用だった3個の梨を差し出され、最初は皮と芯は食べないといいながら、あとになって全部食べてしまう場面は、忘れられません。

 今考えると、あの梨は日本の梨とは見かけも味も異なるペーラと呼ばれる縦長の洋梨でしょうね。

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 今では日本でも洋梨が出回っていますが、子供のころ、洋梨は見かけることすらありませんでした。日本の梨と比べると、洋梨の皮や芯のほうが食べやすそうに思えますが、どんなものでしょう。

 忘れられない場面は、『ピノッキオの冒険』には沢山あります。気ままで、無責任で、率直で、変に素直、また無鉄砲なピノッキオは子供がその子供らしさで大人を惹きつける類の特徴を悉く備えています。

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ピノッキオの冒険,it:Enrico Mazzantiによる1883年の挿絵
出典:Wikimedia Commons

 1883年に上梓された初版本のピノッキオの挿絵を見ると、原作者カルロ・コッローディがトスカーナ大公国フィレンツェ出身であったことを思い出させますね。ピノッキオは何だか立派に見えますよ。

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ピノッキオ、猫と狐と共に宿屋で食事(1901年版の挿絵)
出典:Wikimedia Commons

 1901年版のあちらの挿絵で見るネコとキツネは普通の感じに描かれていますね。わたしが見た邦訳版の挿絵ではピノッキオはもっと貧相に、ネコとキツネは惨めで悪賢そうに描かれていました。

 いずれにせよ、自分が子供だったときに読んだ『ピノッキオの冒険』は、何か恐ろしい物語として印象づけられました。死んだ少女であるかのような仙女の初登場の仕方は異様だし、ピノッキオをペテンにかけるネコとキツネは嫌らしく、ロバになったまま死んでしまうトウシンはあまりにも悲惨、フカの腹の中でジェッペットと再会するピノッキオの運命は数奇すぎる……。

 最近のわが国のファンタジーものが何か抽象的で、社会背景は適当な作り物としか感じられず、主人公が正体のはっきりしない敵を相手にむやみに戦うのに比べ、『ピノッキオの冒険』は具体的です。社会背景も、大人や子供が抱える困難もくっきりと描かれていて、ピノッキオの行動が招く神秘や奇怪や美の場面を背後からがっちりと支えています。

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カルロ・コッローディ(Carlo Collodi,1826 - 1890)
出典:Wikimedia Commons

 ピノッキオの場合、闘う相手は、相手が反映させる自分そのものです。
 でも、わが国のファンタジーもので特徴的なのは、主人公は特別の能力を秘めた無垢な人間であって、相手は強大ながらその内面性には作者の目がかけられていないのでうつろです。そして魔法や神器などによる力(暴力)の行使で相手をやっつけます。暴力的場面だけが生々しい印象です。

 趣味の悪い悪夢のようなファンタジーものからピノッキオに戻ると、わたしはほっとします。

*1:Carlo Collodi,1826年11月24日 - 1890年10月26日. Le Avventure di Pinocchio(1883)