The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

20 雛祭りの記憶 2007.3.3

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出典:Pixabay

 今年もお雛様を出しそびれた。出してあげないと、箱の中で踊り出すというけれど。
 うちにある娘のお雛様は、内裏雛一対の真多呂人形で、出すのにそう手間がかかるわけではないのだが、結構場所をとるし、1日だけ飾るというわけにもいかないことを考えると、億劫になってしまう。
 娘が高校生の頃までは、わたしが出しそびれそうになっても、娘が自分で出すというので、一緒に並べたものだが、今では娘も面倒なのか、忘れたふりをしている。

 娘の初節句に母が、お雛様の顔が娘に似ているし、狭いアパートでも飾るのに負担がかからないから、といって選んでくれたのが、真多呂人形だった。そして、「買っていらっしゃい」といって、わたしにお金を渡した。
 そのとき、母はもう外出もままならなかったのだったか、入院中だったか、どうしても思い出せない。
 が、とにかく母は事前にそのお店に人形を見に行ってくれていたのだ。お雛様は実家のある街のお店で買った覚えがある。そのお店から、アパートにお雛様を送って貰ったのだろうか。
 お店で見たお雛様は、母がいうように、赤ん坊だった娘の顔によく似ていた。その年の6月に母は亡くなった。

 初節句に義母がアパートに来てくれ、お雛様を見た。義母は、全部揃ったお雛様じゃないじゃない、というようなことをいって、何か露骨な顔をした。わたしは母がそのお雛様を選んだ理由を話そうとしたが、話し終えられなかったのを覚えている。
 聴いて貰えなかったのだ。そんなことがあったために、息子にはさぞ豪華な五月人形を買って貰えるのだろうと悔し紛れに思っていたら、夫のお古だった。とはいえ、実はわたしはこうしたものは古いもののほうが好きだ。
 ただそのときの悔しさ、衰弱した母の様子の記憶が、娘のお雛様にはまつわっている。だからこそ、よけいにお雛様の美しさが人の世の汚濁の中から気高く浮かび上がり、燦然と輝いて見えるのだった。

 が、ともかく、娘のお雛様を出すにはある精神力が要る。
 わたしの(というより、わたしと妹のというべきだろうが)お雛様は実家のどこかに眠っているはずだ。もしかしたら、父が捨ててしまったのかもしれない。*1

 全部揃ったお雛様だったから、母とわたしと妹、3人の手がありながら、それこそ出すのに1日かかって、雛祭りというと、その労働の記憶が濃厚だ。わたしの初節句のときには母方の祖母はとっくに亡くなっていたから、母は姉にあたるわたしの伯母と2人でお雛様を見に行ったといっていた。
 気品のある繊細な目鼻立ちのお雛様だったが、保存状態がいいとはいえなかった。あのお雛様なら、それこそ箱の中で全員で踊り出してもおかしくはない。
 雛祭りの夜に、月光を感じながら彼らは箱の中で、もう何度となく、踊ったのだろうと想う。

 雛祭りといえばまた、源氏物語の中に出てくる「雛(ひいな)遊び」を連想する。この雛遊びは、雛祭りの源流の一つらしい。
 尼であった祖母を亡くしたのちの紫の上は、荒れ果てたところで、仕える人々も少なく、暮らしていた。父親の本邸に引き取る話なども出たが、紫の上の母親が辛い悲しい思いばかりしていたとあって、乳母たちは案じていた。
 源氏は祖母を慕って泣いてばかりいる紫の上に、自分のところには面白い絵が沢山あるし、雛遊びだっていくらでもできますよ、といって、このときとばかりに紫の上を強引に、半ばさらってきてしまうのだった。

 もう少し若い頃に読んだときには、藤壺に対する危ない恋心を中心とした源氏のロマンスに夢中になったものだ。この頃では年食ったせいか、それぞれの登場人物の置かれた状況設定、脇役たちの心理描写の巧みさに驚嘆している。
 乳母は幼い紫の上に執心する源氏に、ある薄気味の悪さを覚える。そのあたりの心理描写が心憎いまでにうまく描かれているのだ。

 紫の上をさらってきた夜、源氏は紫の上とふたりで寝に行く。紫の上は乳母と寝たい、といって泣くのだが、源氏はそれを許さない。紫の上はそのうち泣き疲れて寝てしまう。しかし、乳母は横になるどころではなくて、まんじりともしなかったのだった。
 幸い、さすがに源氏は、幼い頃にわたしにトラウマを植えつけた青年たちとは違い、はるかに紳士なのだが、紳士であるだけにこのあたりの源氏はわたしには気持ち悪くて仕方がない。

 世は移り変わろうと、すこやかな、本当にいいかたちの初体験を娘に願う親の思いは、親が親である限り、変わらないのではないだろうか。

*1:再婚して人が変わった父が博多に転居する際、わたしたち姉妹に断りなく実家を更地にしていったので、お雛様の行方はわからなくなった。おそらく捨てられたのだろう。