The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

25 美空ひばりに釘づけ 2007.6.25

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出典:Pixabay

 NHK BS2美空ひばり生誕70年記念番組を昨日からやっていて、テレビに釘づけ。81年に収録された「ひるのプレゼント」を観ていた。

 着物姿のひばりが歌うときの、凜とした艶冶な美しさといったらない。他の女性演歌歌手と比較してみればわかるが、彼女は激しい手の振りをするにも拘わらず袖口がいつも綺麗なのである。
 乱れた時はさり気なく腕を落として整えている。着物の袖口から見苦しく腕が露出することのない見事さ! たまにちらりと見えるのが幻影のような艶っぽさだ。マイクには白いハンカチが巻かれているのが常であった。

 美空 ひばり(1937 - 1989年)。12歳でデビュー、天才少女歌手といわれ、名実共に歌謡界の女王であった。

 彼女からは日本の伝統芸能の薫りがする。華奢な体で、それまでの日本文化の集大成を果たしていたようにすら思われるほどだ。彼女が亡くなったことで、戦前と戦後をつなぐ貴重なリンクが消えたような喪失感がある。

 とはいえ、わたしがひばりに目覚めたのは亡くなってからだった。物心ついて以来、歌謡界の女王としてあまりにも不動の存在で、その強烈なパワーに子供のわたしはたじたじとなったというか、食傷していたというか、消極的関心しか抱いていなかったというのが正直なところだ。そのよさを本当にわかるには若すぎたのかもしれない。

 美空ひばりの公式サイトを閲覧して、リリースされた楽曲の多さに改めて驚かされた。特に好きな楽曲を拾ってみた。

悲しき口笛(1949)
東京キッド(1950)
越後獅子の唄(1950)
リンゴ追分(1952)
お祭りマンボ(1952)
娘船頭さん(1955)
港町十三番地(1957)
花笠道中(1958)
大川ながし(1959)
哀愁波止場(1960)
車屋さん(1961)
関東春雨傘(1963)
柔(1964)
影を慕いて(1965)
悲しい酒(1966)
真赤な太陽(1967)
芸道一代(1967)
人生一路(1970)
人生将棋(1970)
一本の鉛筆(1974)
おまえに惚れた(1980)
剣ひとすじ(1981)
裏町酒場(1982)
笑ってよムーンライト(1983)
残侠子守唄(1983)
夢ひとり(1985)
龍馬残影(1985)
愛燦々(1986)
太鼓(1986)
みだれ髪(1987)
川の流れのように(1989)
われとわが身を眠らす子守唄(1990)
ハハハ(1990)

 ここには含まれていないマドロスものも好きだ。次に好きな楽曲のグループには入る。

 外国航路の船員だった父の船はよく横浜港に入港、停泊した。電話交換手だった母はそのたびに休みをとって幼いわたしを連れ、父に会いに行ったという。そのころのことはほとんど覚えていない。

 小学生になってからの記憶なのか、クリーム色をした船の個室のことが朧げに記憶に残っている。猿だったか栗鼠だったか、あるいはその両方だったかもしれないが、父は確か船室で動物を飼っていた。父は横浜に家を構えたかったそうだ。母が地元から離れたがらなかったらしい。

 ひばりのマドロスものを聴くと、クリーム色の個室や父からした男性コロンの香り、嵐の話、外国からの様々な土産などを思い出す。

 母が亡くなり、独身だった妹のことを考えた父は早期退職した。陸に上がった河童のようでありながら、妹が結婚した後も傍目には陽気に、また律儀に暮らしていた。立派だった。

 近くに住んだ妹一家がよく父を訪ねてくれていたのだが、独り暮らしに耐えられなくなったということもあったのか、父は悪女と評判だったらしい若い女性と再婚した。悪評を否定し、女性への愛を貫いたまではよかったのが、父はすっかり変わってしまい、わたしと妹を困惑させている。

 美空ひばりの歌には様々な境遇にある人間や人生の諸相が織り込まれて一大絵巻を構成しているから、その歌は人生経験を経れば経るほど価値が増す性質のものなのだ。バルザックの《人間喜劇》のように。

 この場合の喜劇とは神々の物語を意味するギリシア悲劇と対比されるギリシア喜劇、人間たちの物語という意味で使われたと思われ、滑稽な物語という意味ではないだろう。そういう意味からいえば、ひばりの歌も《人間喜劇》といえると思う。

 生前の母からひばり公演に誘われた時、ロック少女だったわたしは即座に断ってしまい、今になって後悔の念を覚えること頻りである。

 同じ頃、越路吹雪公演も断り、貴重な人々の歌声を生で聴く機会をふいにしてしまったと歯痒い思いである。母はどちらも友人たちと行き、よかったといっていた。ひばりは小柄な人だったそうだ。

 ただ「この人、歌いながらよく泣くね」と母にいいながらも、ひばりがテレビに出ると、必ずその前に行った。

 ひばりと母は三つしか違わず、ひばりを観ると元気だった頃の母を思い出し、なつかしさでいっぱいになる。