The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

35 行く年に想うこと&ヴァレリーの詩の紹介 2006.12.31

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出典:Pixabay

 社会的に激変の一年*1だった。成年の年齢をこれまでの20歳から18歳へと引き下げる民法改正議論が起きている。

 わたしは法学部卒なのだが、わたしが学生のころは小六法を毎年買い替える必要などないくらいだった。そのころからすると、法律事情が一変している。

 行く年には、あまり賛成できないこと、よからぬ事件など、気の重くなるような出来事がいろいろとあった。不幸にしてそうだったからこそ、過去の文豪たちの偉大さが改めて実感された年でもあった。

 社会的暗雲の立ち込める中で、彼らは何と明晰に物事を観察し、伝え、ヒューマニズムを高々と掲げたことだろう。わたしも赤ん坊のようによちよちとではあっても、彼らの後をついていきたい思いだ……

 わが家は4人家族。4人であっても「人類」なのだ。来年も、家族や家庭について、考察を深めていくことになるだろう。

 では、ここで、なぜか大晦日になるといつも思い出してしまうヴァレリーの詩を『世界詩人全集10 マラルメヴァレリー詩集』(西脇順三郎平井啓之・菅野昭正・清水徹 訳、新潮社、1969)から紹介して、行く年の締めくくりとしたいと思う。

 消え失せた葡萄酒        
       ポール・ヴァレリー清水徹

 

わたしは、いつの日にか、海原に
(しかしそれは、どの空の下だったろうか)
虚無への捧げものとして
一滴の高貴な葡萄酒を注いだ。

酒よ、だれがおまえの喪失をのぞんだろう。
わたしは占いの言葉に従ったのか、
それともまた、内心の憂いに惹かれたのか、
血を想いながら、葡萄酒を注いでいたときに。

薔薇色の煙が立ち
海はいつもの透明さを
きよらかさを取り戻した……

葡萄酒は消え失せて、波々は酔う……
潮風の吹くなかに、わたしは見たのだ
限りなく奥深いものの姿のとび立つのを……

*1:2006年