The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

38 フジコ・ヘミング (2)ベーゼンドルファーとの微妙な相性 2007.5.21・27

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Dorota KudybaによるPixabayからの画像

 

荒馬ベーゼンドルファー

 昨日*1フジコ・ヘミングのソロコンサートへ出かけた。興奮と疲れで帰宅後ゴロゴロし、もう真夜中だが、化粧も落としていない。この記事を投稿したら、落として寝よう。

 今回のコンサートで意識せざるをえなかったのは、使用されたベーゼンドルファーというピアノだった。パンフレットによれば、希少価値のある大層有名なピアノだとか。

 素人のわたしの耳には、高音部がキンキンと甲高く聴こえ、それでいて低音部は何ともまろやかに聴こえる、音色が時に豪華に時に痩せて感じられる、如何にも御し難いピアノと想像された。

 このピアノについて、「標準の 88 鍵の下にさらに4から9組の弦が張られ、最低音を通常よりも長6度低いハ音とした完全8オクターブ、97 鍵の鍵盤を持つ」とパンフレットにあるから、そのせいだろうか。

 また、難曲揃いのプログラムも意識せざるを得なかった。彼女にとっては自家薬籠中の曲ばかりなのだろうが、弾くごとに勝負を強いられそうな曲が並んでいるではないか。

 これら二つのことを意識していたせいか、演奏自体にその原因があったせいか……ともかく、前回聴きに行ったとき*2とは違って、わたしは客席で落ち着かなかった。第一部のショパン『華麗なる大ワルツ』や『革命』などすばらしかったにも拘わらず、安定した気分が得られなかったのだった。

 そして第二部。あれはリストの『ハンガリー狂詩曲』のときだったか、演奏が一瞬止まったのだ。わたしの頭の中も真っ白になったが、あるいはわたしの勘違いだったのかもしれない。

 そのあとすぐに演奏は再開され、よどみなくプログラムの最後まで全うされはしたものの、前回のような全曲を浸していた情感の潤いや、シックなまでの落ち着きは感じられなかった気がした。

 ベーゼンドルファーはフジコにとって、荒馬だったのでは?

 だだそれゆえに、完璧だった前回の演奏では見られなかった、ピアノ、奏者間の迫力あるドラマを堪能できたように思う。

 フジコが何歳かは知らないが、充実した体力に乾杯したい気持ちだ。でも、タバコ 1 日 1 箱は――と購入した書籍にあった――吸いすぎではないだろうか。

『革命のエチュード』で生かされたベーゼンドルファー

 フジコのソロコンサートから 6 日経った今日、家にあるフジコの 4 枚の CD のうち「憂愁のノクターンフジ子・ヘミング」(ビクター、2000)に収録されている『革命のエチュード』を聴きながら、この記事を書いている。

 これが、今回のフジコのコンサート中、わたしの記憶に最も焼きついた曲だったからだ。

 コンサートで演奏された同じ曲をこうして聴いてみても、そのときの感銘は鮮明には甦ってこない。あのときのものとは違う――そう思ってしまう。

 生との違いなのか、そのときの演奏自体との違いなのか。

 正直いって、あまりにも有名すぎてわたしには陳腐とさえ感じられていた『革命のエチュード』。

 それまでに聴いたこの曲から、自身が経験したこともない革命を生々しく感じさせてくれるだけの衝撃を与えられたことは一度もなかった。

 それで、プログラムの中にこの曲を見つけたときも、「何だ、『革命』か。『木枯らし』だったらいいのにな」と思ったくらいだった。『革命』よりもむしろ『木枯らし』のほうが好きだったから。

 優れたピアニストの手によらないショパンの曲ほど、退屈なものはない。あまりに退屈な『革命』を聴きすぎたのかもしれない。

 CD には『革命』について、次のように解説されている(原明美による)。抜粋して紹介したい。

ショパンがウィーンからパリへ向かう途上、立ち寄ったシュッドガルトで、故郷のワルシャワがロシア軍の侵入を受けて陥落したことを知り、絶望と怒りをこめて書いた、というエピソードが伝えられている。

 それほどまでに深刻なテーマの曲が練習曲集に入っているというのは、不思議なくらいだ。

 そして、今回のコンサートでフジコが弾いたこの曲は、素晴らしかった。ショパンのそのときの鼓動が感じられるような生々しさがあった。

 左手が世のどす黒い動きを伝えていた。右手が人間的な声を、情感を伝えていた。

 左手の不気味な音色が右手の人間的な訴え、嘆きを、光を際立たせる陰のような働きかたで浮き彫りにしていた。とにかく、左手によって奏でられる響きが印象的だったのだ。

 今、ふと思ったのだが、これにはベーゼンドルファーというピアノがかなり与っていたのではないだろうか。

 前述したように、フジコを後半のプログラムで荒馬的に苦しめた――とわたしには思えた――ベーゼンドルファーという低音部に未知の魅力を秘めたピアノが、このコンサートで用いられたピアノだった。

 フジコの左手の奏でる音色の迫力、濃やかさといったらなかった。……ロシア軍の包囲網……市井の人の息遣い……血生臭さ……それらが感じられるようなあんな味わいが出たのは、ベーゼンドルファーという類稀なピアノと、フジコという優れた弾き手との邂逅があってこそのことだったと思われる。

 様々な意味において、芸術というものの力の凄さを思う。

 感激したことに、今回のコンサートでわたしは彼女のオーラを初めて見た。

 わたしの見間違いでなければ、わたしと同系色のオーラだった。勿論、違いはあるだろう。わたしのオーラはこれまでに大きく2度変化して、現在の色になった。これからも変っていくのだろう。フジコのオーラも。

 いずれにせよ、フジコもわたしも現在は途上の人の色、求道者の色を持っている。その色に生きているといえる。

 以下は、休憩時間にとったわたしのメモから……

フジコのファッション。上から羽織っている衣装は、朱色の鯉が描かれた着物。スカート(?袴にも見える)は墨色。背中に結び目のある紐とペンダント。白い髪留め。

ピアノ。鋭い、甲高い。下の方はまろやか。全体の音色としては豪華。低音部、高音部共に特徴的。スタインウェイのように均一な感じではない。

「革命」→左手が、世のどす黒い動きを伝えている。右手が、人間的な声、情感を伝えていた。

ピアノとの邂逅を受け入れ、確かめ、味わっているかのよう。

前回のコンサート同様、修行僧のように見える。

フジコが蓮の花、あるいは雲にのっているように世俗離れして見える瞬間があった。

案外、御し難いピアノなのではないだろうか?

 以下は、休憩時間後の演奏中、演奏後にとったメモ。

フジコのファッション。上からは紫色の着物。朱の手毬、白い流水(?)の模様。白地の帯。白いブラウス。黒のパンツ。中にやはり黒のスカートのように見える衣装。場内から「可愛い」の声。

ピアノ。高音部が如何にも甲高く響く。高音部はかたい。

亡き王女のためのパヴァーヌ。祈るような……。愛の夢の演奏に入る前に、フジコはメモを取り出し見る。かなり近視?

オーラは*色? 間違いない。*色に近い*色も見える。*色。

ハンガリー狂詩曲で、おかしなところがあった。

盲導犬ラムちゃん。フジ子の寄付。200 万円。盲導犬協会には 50 万円。「皆さんも自分のことばかり考えていないで、寄付しなきゃだめよ」とフジコ。

*1:2007年5月21日

*2:エッセー 26フジコ・ヘミング (1)初のフジ子・ヘミング 2006.5.1」参照