The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

42 博多からの電車で耳にした、編集者と作家の会話 2019.5.27

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Mary_R_SmithによるPixabayからの画像


土曜日、娘と博多に遊びに出かけました。

帰りの電車で、作家と編集者が近くに座っていました。年輩の編集者の声がまるで話の内容を一般公開しているかのように大きかったので(とても真面目な様子でした)、2人の話が嫌でも耳に入ってきたのです。

編集者の顔は見えませんでした。わたしの真後ろに座っていたのです。作家は通路を挟んで座っていたので、ちょっと斜め後ろを見ると、顔が見えました。中年男性で、推理小説なんかによさそうなマスクでした。いや、時代小説のほうがいいかもしれません。

取材とインタビューが予定にあるようでした。2人ともこちらの人ではない様子で、編集者が奇妙なことをいっていました。

お猿さんのいる高崎山のてっぺんにあるホテルの露天風呂に入るだとか、「この街にはね*****という有名な店があってね」といっていましたが、そのレストランはどこにでもある――といっては語弊がありますが、編集者はそのチープな値段を売りにしているファミレスのことをまるで高級レストランであるかのように話していたので、わたしはびっくりしました。

それに、高崎山のてっぺんにホテルはなかったと思います。お猿さんの入る露天風呂があるかどうかは知りませんが。

「君は成功した部類の人間だから、今後もしっかりやるように」というようなことを編集者はいい、作家は神妙な面持ちで頷いていました。編集者はそのあと、作家の名を4人出してあれこれ論評(?)していました。そのうちの一人だけを編集者は「**先生」と呼んでいました。

おそらくその先生は大御所なのでしょうが、作家がどんなジャンルの物書きなのか、肝心のところがわかりませんでした。

そのうち、編集者は聞き捨てならないことを、これも大声でいい放ちました。

彼は最近、某氏の作品を校正してやっているそうです。その人は職業作家ではないようで、これまでに自費出版社から3冊の本を出したそうですが、そのために退職金を総額で1,000万円もつぎ込んだのだそうです。

出版社は悪質なところらしくて、半分の金額で本が出せるのに倍出させ、「あいつらはそのぶん、丸儲けよ」と編集者はいいました。おまけに出版部数に関してサバを読んでいるというのです。詐欺ですよね、これって。

しかも、校正といっても誤字脱字を直すだけなので、まるで文章になっていないそうです。編集者は3回手を入れたといっていました。「謝礼は貰ったけれどね」と、短い会話の間に編集者は2回繰り返しました。会話全体は、だいたい3回繰り返されました。

「君は成功した部類の……」の箇所に来ると、回が更新されるというわけです。そのたびに、作家は初めて聞く教訓であるかのように、神妙に頷くのでした。

そういえば、従姉の息子が悪質な出版社から絵本を出すというので、慌てて止めたのですが、作家の卵にすぎないわたしがいったところで、説得力がありませんでした。

編集者がいう悪質な出版社というのは、従姉の息子が出した出版社ではなく、人口に膾炙した出版社です。でも、悪質な出版社で調べると、従姉がいっていた出版社の次の次くらいに名が出てきて、わたしはそのとき初めて、その出版社が自費出版も手掛けているのだと知りました。

3回会話が繰り返され、急に編集者は黙り込みました。すっかり疲れたのでしょうね。作家も静かでした。

わたしも何だかくたびれて、目を閉じました。わたしは、天神で購入した、お買い得だった夏用のベレー帽をかぶっていました。夫には、室内着を購入しました。娘はコレクションしているアナスイのペンダントを。

そうした品々のことや、帰宅後に残っている家事のこととかを半分眠りながら考え、夢現にメアリー・ポピンズの物語の作者トラヴァースが恋した編集者ジョージ・ウィリアム・ラッセルのことを考えました。

ラッセルはアイルランド文芸復興運動の指導者の一人で、詩人、画家、評論家でもありました。思想的にも、文学的にも、トラヴァースは大きな影響を受けたのでした。

彼女が出会ったとき、ラッセルは既婚者でした。親子くらい年齢が離れていました。

それでも、恋したわけですね。英語版ウィキペディアなどで見ると、ラッセルは若い作家にはとても優しかったようですが、彼らを歓待しただけでなく、世に出られるよう尽力した人でもあったようです。もしかしたら、少し女たらしだったのかもしれませんが。

森恵子氏がお書きになったトラヴァースの評伝*1を読むと、ラッセルが素敵な人であったことがわかります。トラヴァースの気持ちを想像しながら、うとうとしました。

ふいに、衝撃を受けました。何と、トイレに立った編集者がよろけて、わたしのベレー帽に当たったのでした。

謝りもせずに編集者は座席に戻って(わたしにぶつかったことなど、気づかなかったのかもしれません)、また大声で何か作家にいいました。

終点に着いたら、ちゃんと見ていない編集者の顔を見てやろうと思いながら、わたしは疲れを覚えてまた目を閉じました。終点に着いたとき、すぐに立ち上がって後ろを見ました。

座席は空でした。お猿さんのいる山のてっぺんにあるというホテルに行くために、一つ前の駅で降りたのでしょう。

*1:森恵子『P.L.トラヴァース』KTC中央出版、2006