The Essays of Maki Naotsuka

オンラインエッセー集

50 アストリッド・リンドグレーン (3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14

エッセー「アストリッド・リンドグレーン
1)ワイルドなピッピに漂う憂愁の影 2010.4.23
2)『はるかな国の兄弟』を考察する 2014.4.30
(3)愛蔵版アルバムで紹介された『はるかな国の兄弟』と関係のあるエピソード 2015.9.14

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Astrid Lindgren omkring 1960
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ヤコブ・フォシェッル監修(石井 登志子訳)『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、2007)を、誕生日プレゼントとして娘に買って貰った。

この大型本に見るリンドグレーンの境遇についてはエッセー 46「シネマ『バベットの晩餐会』を観て」の追記で述べたことと重複するが、アルバムでは作品解釈に役立つようなエピソードが沢山紹介されているので、合わせて『はるかな国の兄弟』に関係のあるエピソードを引用しておきたいと思う。

 

アルバムに見るリンドグレーンの境遇

石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生を鳥瞰できた。

アストリッド-アンナ-エミリアエリクソンは 1907 年 11 月 14 日、スウェーデンの南部スモーランド地方、カルマル県にある都市ヴィンメルビー郊外のネースで誕生した。2002 年、94 歳の誕生日を迎え、クリスマスを家族で祝った数日後インフルエンザにかかり、1 月 28 日亡くなった。 

両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のアストリッドが苦労した様子はアルバムからは窺えない。

ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。

「ヴィンメルビー新聞」の編集長ブロムベリイの子どもを妊娠したとき、アストリッドは 18 歳だった。ラッセは、実父から 3 万クローナの遺産を受けとっている。

ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のアストリッドとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。

アストリッドの再婚相手は、秘書として就職した先で知り合った、王立自動車クラブ支配人ステューレ・リンドグレーンだった。21 歳のアストリッドも出席した王立自動車クラブの毎年恒例の晩餐会の写真は凄い。豪華絢爛な晩餐会の様子に圧倒される。

第二次世界大戦前の写真だが、福祉大国スウェーデンが今も――以前の特権を維持していないとはいえ――貴族が存在する社会であることを思い出させた。

それまでに読んだアストリッド・リンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!

想像とは違っていたが――違っていたからこそ、というべきか――、図書館から借りて見たアストリッドや周囲に写っているものがとても素敵だったので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わずこの本を挙げたのだった。

だから勿論、わたしは、アストリッドが有名だったり、お金持ちだったり、また自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。

無名で貧乏だと取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。

ただ、「小さいきょうだい」、「ボダイジュがかなでるとき」からも、極貧状態の描写と物語の展開にどことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。
『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。
わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分が残る。

アルバムで紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード

「はるかな国の兄弟」について触れられているのはアルバムの中の「写真で綴る、アストリッドの人生」で 2 箇所、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」で 3 箇所である。

アストリッドの娘には 4 人の子どもがあって、それぞれ文学関係の道に進んだそうだ。アストリッドは一人ひとりの孫から創作の着想を得ることはなかったというが、ちょっとした言葉づかいや心の動きは借りることがあったとか。

「はるかな国の兄弟」の創作時には二男ニルスと三男ウッレが貢献しているらしい。

4 歳だった二男ニルスの、死についての不安な気持ちは『はるかな国の兄弟』の創作に貢献した。三男のウッレは 1 歳の時に、しきりに「ナン-ギ、ナン-ギ。」と口にしていたのが、やはり『はるかな国の兄弟』の中の主人公、クッキーやヨンタンの住む世界“ナンギヤラ”の名前に使われている。*1

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」には、アストリッドの作品によく出てくる、印象的な台所について触れられた箇所がある。

 何か特別な雰囲気のある、部屋や場所があるものだ。
「わたしが台所のことを書く時は、わたしたちの家の台所ではないの。ほとんどいつもクリスティンの台所なの。」アストリッドは言っていた。
 クリスティンは牛の世話係と結婚していて、ふたりの娘がエディットである。……(略)……
 わたしが、クッキー・レヨンイェッタ(『はるかな国の兄弟』)が横になっていた台所はどんなだったかを尋ねると、アストリッドは自分でも驚いていた。
「そりゃクリスティンの古い台所でしょ! でも、考えていなかった。そこは 3 階だったのに、クリスティンの台所にしていたわ。」*2 

また、アストリッドの死のイメージがどこから来ていたのかにも言及している。

 アストリッドのベッドで休んだ夜は、初夏の明るさに包まれていた。外には、リンゴと桜の花が咲いていた。室内には、明るいところと半分影のようなほのぐらいところがあり、白夜の夏の夜明かし、アストリッド自身の夜明けへ向かう光があった。彼女の死のイメージは、光のイメージだ。「ぼくには光が見える!」とクッキーは、ナンギヤラやナンギリマやあらゆる未知の世界へ向かって叫ぶ。他の作家が暗く恐ろしげな色合いで表現してきた世界へ向かってそう叫ぶのだ。*3 

神秘主義者であるわたしにとっても死は光のイメージだが、その光のイメージは自然光ではなく、圧倒的だが精妙なオーラの光のイメージである。ストレムステッドのいう「アストリッド自身の夜明けへ向かう光」というのが内的な光のことだとすれば、オーラの光は内的な光といってよい性質のものだから、同種のイメージといってよいのかもしれない。

弟クッキーと兄ヨナタン・レインイェッタの物語『はるかな国の兄弟』は、1970年あたりに、ふたりの兄弟と死を主題とすることで構想が徐々にまとまったという。

 1971 年の元旦の朝、フリーケン湖に沿って汽車に乗っている時、湖上のバラ色に輝く朝日を見て、アストリッドははっとした。「これは人類の夜明けの光だ。そして何かに火がついたと感じた。」兄弟の物語は、この世で展開されるものではないと気づいたのだ。

 善と悪、生と死、そして互いに滅ぼし合うことになるふたつの怪物の登場、これをアストリッドは、第 2 次世界大戦のナチズムとボルシェビキと見なしていたようだが、物語は緊張感あふれる作品になった。物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった。クッキーが確かな死に向かって飛び降りる結末は、子どもにはよくないと、多くの大人が不快感を示したが、子どもたちは明るい結末ととらえていた。*4

マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」でも大人たちの反応に触れられている。

『はるかな国の兄弟』は、「“死”というタブーの境界に添って展開していくため、多くの大人に不安を与え脅えさせた」という。しかし、子どもたちは大人とは違う方法で読んでいるとストレムステッドは書いている。

『はるかな国の兄弟』が出版された直後、アストリッドが若い心理学者に会い、そのときのことをストレムステッドに語ったという。

アストリッド・リンドグレーンは語った。「彼は、子どもに対しては『はるかな国の兄弟』の最後のあたりを読むことができないと言ったの。兄弟が二度も死ななくてはならないと考えるのはおぞましいから、と。その後、家に帰ったら、エーミル映画でイーダの役をしていた女の子から電話があって、こう話してくれたの。“たった今、『はるかな国の兄弟』を読み終わったんだけれど、幸せな終りにしてくれてありがとう”って、子どもはそのように経験できるのよ。」*5

大人の読後感はいろいろだろうし、子どもたちの反応も一律ではないと思うが、あの終わらせかたにはやはり議論を呼ぶところがあるとは思う。

そして、物語に登場する悪役――二匹の怪物――が第2次世界大戦のナチズムとボルシェビキを喩えるものだったとは、安直な技法と思えて驚いた。しかも、「物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった」というからには、この物語は綿密に構成されたものですらなかったということになる。

しかしながら、二匹の怪物が互いに滅ぼしあい、カルマ滝の中で死ぬまで戦いあって深みへと沈んでいくのを見届けた作者アストリッド・リンドグレーンは、そのことによって物語全体を覆う煉獄的ムードを払いはしなかった。

このことは、彼女が哲学的な人物ではなかったとしても、勧善懲悪的世界観に与するような単純な思考の持ち主ではなかったことを示している。

主婦として一旦は家庭に入ったアストリッドだったが、すぐに速記記者として弁護士事務所や国会議事堂で臨時に働き、第二次大戦中の 1940 年からの 5 年間を手紙検閲機関で秘密裏に働いている。戦争に、体制側の一員として深く関わっていた。

こうして見ていくと、「はるかな国の兄弟」は、第二次世界大戦についてのアストリッド的総括、犠牲者に捧げられた鎮魂歌ともいえるのかもしれない。

*1:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.106

*2:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*3:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.257

*4:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.175

*5:フォッシェッル監修,石井訳,2007,p.255