21 馬を見ていた息子 2007.3.31
息子から電話がありました。
高校時代のクラス会に1泊2日で出かけ、旧交を温めたようでした。帰りに湯布院で乗り継ぎのために40分あったため、下りて、近くにある観光客相手の馬車を見に行ったということでした。
馬車を引いているのは綺麗な、優しそうな白馬だったそうで、動物好きの息子はずっとその馬の仕事や休憩を少し離れたところから見守っていたとか。
馬を管理している人たちが馬の噂をし、この馬は優しくて物事がよくわかっている……通行人があると、自分から静かによけて通ってくれ、客たちに愛想もいい……と褒めていたそうです。
息子が見ていると、観光客に頭を撫でられるとき、馬は嬉しそうにしていたそうですが、観光客がいなくなると、がくっときたような疲れた顔をしていたとか。
馬の苦労がわかったといい、「馬は顔が大きいからか、特に表情がわかりやすいね」といっていました。
同様のことはハムスターを飼っていたときに、わたしも感じたことがありました。わたしが愛撫したあとで、ハムスターがふと疲れた表情をするのを見たことがあったからです。
それまではハムスターを可愛がっているつもりでしたが、可愛がられてくれていることがわかり、はっとしたものでした。
フランスの作家モーリス・ドリュオンが書いた『みどりのゆび』には、同種の事柄がこんなふうに書かれています。
おとなたち、そのうちでも、とくに黒くて大きな鼻のあなや、しわだらけのひたいや、毛のはえている耳をもったおとなは、つやつやほっぺのちいさな子に、しょっちゅうキスするものです。そうしてやると、こどもがうれしがるからだ、とおとなはいいます。こんなことまで、じぶんかってにきめこんでいるのです。ほんとうは、うれしがっているのはおとなのほうなのですが。つやつやほっぺのこどもは、おとなをたのしませてやろうとおもって、がまんをしているだけなのです。*1
こんな文章を読むと、童話は大人こそが読むべきものだという気がするくらいです。こんなことは大人になると、案外忘れてしまいますものね。もっとも、忘れたふりをしているのかもしれませんけれど。